こんなに寝られるんだ
適応障害になった私は、結局休みを取ることになりました。休みになった私は、死んだかのように眠りました。自分でも「人ってこんなに眠られるんだ。」と思いました。その間、旦那が私の世話をしてくれました。今は定年退職している旦那も当時は仕事をしていました。「ゆっくり寝てね。」と、毎朝早く起き、私のために朝食を作ってくれました。晩御飯も仕事で疲れてる中、作ってくれました。喜んでしてくれる姿は、まるで母親のようでした。今、思い出しても、涙が出てきます。
そんな中、少しは起きられるようになり、旦那が仕事に行く時は、玄関先まで見送ることができるようになりました。でも、それが終わると、また布団に潜り込んで、旦那が帰ってくる頃までゴロゴロ寝ていました。心療内科の先生が、極度の疲れと不安があり、頭が混乱している状態であることを教えてくださったように、激しい疲れをとるために身体が欲しているのだなと思いました。
偶然観たテレビで
いつものように旦那を玄関先まで見送ったある日、テレビを付けっぱなしで、布団に入りそのまま寝てしまいました。しばらくして目が覚めて、テレビに目をやると、ローカル番組で花のアレンジメントの講座の取材が映っていました。何気なく観ていると、他の講座に場面が移り変わりました。
それは「ハーバリウム」というもので、瓶の中にドライフラワーを入れて、オイルを注ぐと完成するステキな飾り物でした。花の大好きな私は、「やってみたい!」と強く思いました。適応障害になってから、初めて「やってみたい」と意欲の湧いた瞬間でした。でもその講座がある会場までは、片道2時間かかるので、無理だなと思いました。しかし、日に日にやってみたい気持ちが抑えられず、インターネットであれこれ調べてみましたら、自宅から20分のところに「ハーバリウムのワークショップ」を月に2〜3度行うお店を見つけました。ドキドキしながら電話をし、ワークショップの予約を入れました。
初のハーバリウム
予約をした日、私は開始時刻の20分前にお店につきました。「早いけど中を見せてもらおう。」と思い、自動ドアの前に立ちました。自動ドアが開き、中を見てみると、たくさんの造花やドライフラワー、そしてキレイな「ハーバリウム」があちこちに飾られていました。そこを通り過ぎると、洒落た丸テーブルと椅子が並べられていました。若くてキレイな店員さんが、出てきて、そのテーブルに案内をしてくれました。そしてハーバリウムの作り方を教えてくださいました。この店員さんがハーバリウムの先生でした。
初めに瓶を選んで、花材も選び、どのように瓶につめていくかテーブルの上に置き、イメージします。私は初めてなのに、高さ20センチの円錐の瓶を選びました。花材はピンクのアジサイとカスミ草がメインでした。私はピンクを選べたことがとてもうれしかったです。なぜなら、私の好きな色はピンクなのですが、心が闇の中にあったときは、「色なんて別にどうでもいい。」と思っていた自分がいたからです。ピンセットで丁寧に瓶にいれていきます。先生はニコニコしながら見守ってくださいました。アジサイとカスミ草を入れて少しオイルをいれてみたら、沈めたい花材が浮いてきたので、どうすればいいのかなと思っていたら、先生が「カスミ草の層を作ったら、次はアジサイの層と交互にいれていくといいですよ。」と教えてくださいました。この先生は「すごいな。」と思いました。なぜなら、教師の資質を持ってらっしゃるからです。先生は始め、私の思考の邪魔にならないように、ニコニコしながら、後ろからみてくださっていました。そして、私が困ったときにタイミングよくアドバイスをくださいました。教育でも、「子供のすることを見守り、困っているときに、さりげなく支援する。」ことが大切とされています。そうこうしているうちに、人生始めてのハーバリウムが完成しました。先生はとてもほめてくださいました。オイルの中にあるお花は光の中、輝いていました。じっと見つめながら「キレイだなあ」と自分でも思いました。そして、私はこのハーバリウムを作成している間は、心のもやもやや不安が消えていることに気付きました。こうして私はハーバリウムに出会い、心の癒しのために、毎月のワークショップに出かけていくのです。
生活に生かす
ハーバリウムのワークショップは、私の生活の一部になっていきました。できた作品は、自宅に飾ったり、実家に飾ったり、友達にあげたりしました。作品をみた人が、私みたいに癒されればいいなあと思ったからです。そして、適応障害から復帰後の教頭時代は母親も癒しが必要と思い、家庭教育学級で私が講師になり、ハーバリウム講座を開催しました。私が講師になった方が、講師の謝金を花材に回せるからです。これもまた、初めての経験でしたが、ハーバリウムの先生のおかげで、無事に終えることができました。「資格を持っていない私でも、その気になればできるんだ。」と自信がわきました。また、母親たちが喜ぶ姿を見て、「私は母親や女性のための駆け込み寺的サロンを作りたい」という以前からの夢が強くなりました。
これからは
私は適応障害になったからこそ、このハーバリウムに出会えたのだと思っています。そう考えると今となっては、あれだけ苦しかった「適応障害」に感謝しています。教頭を辞めた今は、そのハーバリウムを見て癒してほしいと思い、委託販売に挑戦中です。はじめは材料費も考えて、高い値段にしていましたが、みなさんに手にとって見ていただくためには、安くてキレイなものでなければならないと思い、試行錯誤しながら続けています。(※私のお客様第一号は、妹でした。高いお金で買ってくれました。ありがとう!)そして、この委託販売が、私の夢である母親と女性のための駆け込み寺的サロンを作るきっかけになればいいなと、日々楽しみながらハーバリウムを作り続けているのです。