アラフィフみゆみゆりんブログ
過去から学んだことをいかして生きたいです
みゆみゆりんの生き方

押し出すということ

押し出すとうまくいく?

お気に入りのYouTubeを見ていたら「押し出す」ことについての話がありました。自分を自分で前に押し出すことによって人生が生きやすくなるという内容でした。押し出さないでいると弱気になって、相手からそこをつつかれると言うのです。また「最高の私」でいると、幸せが次から次へとやってくるということも話されていました。
そこで、私は思い当たることがあったので、みなさんはどう思われるかなと思い、ブログに書くことにしました。

学生時代の私

もう35年以上も前のこと、私は「障害児保育研究会」というボランティアサークルに所属していました。子供たちと触れ合うことが大好きだった私は、サークル活動がとても好きでした。いつも自分から歩み寄り、どうすればこの子たちが一つでも何かを感じ、何か活動出来るのだろうと考えていました。仲間と「あーでもない。」「こーでもない。」と考えることもとても楽しく、いつもウキウキワクワクしていました。すなわち、上機嫌の私です。
そんな時、県の社会福祉協議会から「障害者と健常者の洋上フェスティバル」を学生ボランティア連盟にお手伝いの依頼が来ました。船を貸し切って障害のある方とない方がペアになり、ふれあうというものでした。そして、その船に舞台が設けられ、催し物も開かれるというのです。その司会者に学生ボランティア連盟会長の先輩と私が選ばれました。
人の前に出て、司会をしたこともなく、できるか不安でしたが、選んでくださったのだから、頑張ってみようと思いました。つまり、自分で自分を押し出したのです。先輩のリードもあって、無事に役目を終えることもできました。
終盤では、「障害があってもなくても、同じ人間なんだ。人は人と触れ合いながら支え合っていくことが大切なんだな。」と会場の方達を舞台から見て、そう思いました。と次の瞬間、口から次のような言葉が出てきました。
『人という漢字は、一画目と二画目が支え合っていますね。私たちもお互いが支え合って生きていくことが大切なのですね。今日、私は、みなさんのお姿から学びました。今日、学んだことをこれからの人生に活かしていきたいです。今日は本当にありがとうございました。』
知らない間に涙が頬を伝っていました。
そうして、無事に終えることができ、ホッとしているところに、車椅子に乗った男性が近寄ってきて「最後の言葉、感動しましたよ。」と言って去って行きました。サークルの仲間からも「よかったよ。」と労を労ってくれました。なんか自信が沸いてきた瞬間でした。
この経験は、もし私が「私なんかが司会ができるはずがない.」と思っていたら、このような感動と自信は生まれなかったことでしょう。自分を「押し出した」ご褒美なのです。

教頭になってから

そうして私は、教師になります。教師になってからの私も、自分を押し出すことを続けていたと思います。県の研究公開授業や研究発表、文科省の研究公開授業、県のテスト作り、諸団体の役員、市の音楽会や表現運動発表会への出演など、いただいた話は必ず引き受けました。(母や妹が息子の世話をしてくれたからこそです。母や妹に感謝です。)「やってみたい。」と心が言うのです。手前味噌ですが、自分でも「キラキラ」していたと思います。
しかし、教頭になってからの私は、自分を押し出すことはあまりしませんでした。なぜなら、教頭とは、先生方の意見をよく聞くことが大切で、私の後ろ姿から感じ取ってくれればいいなと思っていたからです。そもそも、断っていた教頭の話を受けたのは、担任は自分の学級の子どもたちを元気づけることが出来る。教頭になれば、その先生方を元気付けられるポジションになり、先生方みんなが元気になると学校が元気になる。元気な学校づくりのお手伝いがしたいと言う考えに変わったからです。
しかし、現実は厳しかったのです。教諭の時と比べて、仕事が多すぎて追い付かず日々疲弊していくのです。毎日山のようにくる調査物、保護者や地域対応、先生たちの苦情、校長の要求、勤務を要しない日の学校巡視、学校日誌書き、花の水かけ、誰よりも早く学校を開け、誰よりも遅く学校を閉めなければならない。当時の上司は「生理休暇」の請求をすると、「我々管理職は簡単に休みを取ってはいけない。」との意味のわからない指導。学校敷地内に教頭住宅が用意され、築40年のそこに住まなければならない暗黙のルール…。
学校を元気にどころか、疲弊していく私の姿を見せるだけでした。
とても私に厳しい教諭がいました。かなり年下なのに、言いたいことは職員会議中でもずばずばと私にぶつけました。私のミスをみんなの前で暴露して、辱めを受けたこともありました。それでも当時の私は、その思いを受け止め、自分の至らなさをみんなに謝りました。もちろん、上司からのフオローなどありません。でも私はそうすることが最善だと思っていました。
でも、押し出すと言うことを知り、当時の私には「押し出しが足りなかった。」と気付きました。

押し出す勇気を持つ

例えば上記の場合、今の私ならその教諭に「今の発言は、この場に相応しく無い非常に失礼な発言です。この会議が終わってから聞きます。」と自分をもっと押し出せたと思います。
それにもしかしたら、この教諭は私にもっと自信を持って指導してほしいと思っていたかもしれないです。なぜなら、先生方の思いを聞いて受け入れるだけでなく、そこに自分の経験で学んだことを交ぜながらの指導をもっとした方がよかったと「押し出す」ことを知ってから反省したからです。
また、その時に「生理休暇」を取らせなかった上司には、「これは女性の権利です。私は頻繁に生理休暇を取っていません。今日は特に更年期もきていて目眩までするのです。管理職も人間です。病気になることもあるでしょう。それに、軽いうちなら少しの休養で復活します。それでも「生理休暇」を取れないなら、教育委員会に問い合わせてみます。」と話していたことでしょう。
「押し出すこと」は、とても勇気が入ります。でも、自分を大切にするには避けて通れない道です。これが出来るように何が必要なのかをその事象に向き合って、勇気を出して行動していきたいと思います。

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ABOUT ME
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適応障害から復職して2年たち、自分が喜ぶ生き方がしたいと決心し、アーリーリタイアした元小学校教頭のアラフィフみゆみゆりんです。今まの経験を皆様のお役にたてるようなブログを書いていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

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