12日間の帰省
実家から自宅に帰ってきました。8月5日から今日までいたので、12日間いたことになります。現役時代は夏休みといえど仕事のことが気になり、こんなにゆったりと過ごせなかったし、ましては、教頭時代は学校を管理する意味からも、また上司の都合に合わせなければならなかったので、長くても2日程度でした。
それが、教頭を辞め、特別支援教育支援員となり、子供のいない夏休みの勤務は、10日の勤務になるので、たくさんの休みを与えられました。
そこで、その休暇を利用して、しばらく実家に帰ることにしたのです。
年取る母
私はこの実家のある町で、中学校3年から教師になるまでの7年間、そして教師になって21年間、合計28年間生活をしました。今、いる土地もとても大好きなのですが、やはり自分のルーツのつまった町はやっぱり癒されます。
小言をいう母もいますが、だんだん年をとってきたなあと想います。年をとると子どもに返ると言いますが、本当にその通りだなあと想います。何事も『自分が正しい』と受け入れません。また、自分が嫌いになった人のことを罵ります。娘として、とても悲しいです。でも、思い起こせば、それは今に始まったことでなく、私の小さい頃からそうでした。
一方、母はシングルマザーの私を守ろうとしてくれました。私が出戻っても、私を責める事なく受け入れてくれました。そして、フルで働く私の代わりに子供を育ててくれました。それには、とても感謝しています。また、母は毎朝、地域の掃除や横断歩道で小学生の見守りをしています。
妹も私も、そんな母だからこそ、幸せになって欲しいと願っています。
母の負の話
昨夜、母とお坊さんのYouTubeを見ながら、妹が差し入れしてくれたお寿司を食べました。そのお坊さんがご先祖様の話をし始めました、すると、死んだ祖母や父の話、母の兄弟の話、などの話になってきました。母は、恨んでいる人が多く、その人たちの悪口を言い始めました。今は復縁している旦那や家族のことも憎んでいて、「あの男と一緒になるのなら『縁切りや』」と今までに3度も言われました。
当然、母にも恨んでるわけがあります。でも、なぜそんな行動を相手が取るのか考えることが出来なかったり、人は様々な体験を通して成長していることへの理解が乏しいのだと思います。
私は小さい頃、母が悪口を言うと、お腹が痛くなる子供でした。きっと、負の波長を感じる子供だったのでしょう。
昨夜も、母の悪口大会が始まり、私は、お腹が痛くなり、息まで苦しくなってきました。
見えないものが見えた?
その時です。YouTubeのお坊さんの『お母さんに言ってもダメだったら、お母さんの守護霊様に向かって話すんだよ。』との声が聞こえてきました。私は、母の後ろに視線を向けて守護霊様にお話しするように、母に語りかけました。
すると、母の右側に十二単のような着物を着た女性、左側には侍の姿が見えました。
次に、『素直になりなさい』『許しなさい』と女性が話しました。あと一言、聞こえたのですが、忘れてしまいました。
それらのことを話すと、『私の父方の先祖は庄屋だったからだ』と母も私が言うことを信じているようでした。
反省しないかんなあ
そうやって、母と午後7時から話をして5時間がたっていました。私は疲れてきました。母も疲れたと思います。でも、私も伝えたいことは言えました。旦那と復縁したわけ、母ばかりが辛いのでは無いこと、『私や妹がこのような話をするのは、お母さんに幸せになって欲しいからこそで、お母さんのこと大好きだからだよ。マザーテレサも愛の反対は憎しみではなく、無関心であると話されたんだよ。』などを伝えました。
すると、母から今まで聞いたことのない言葉が聞こえてきました。
『姉ちゃん(わたし)から言われたこと、反省しないかんなあ。』
今朝、聞こえた言葉
私は、母がそんな気持ちになってくれて、とてもうれしく思いました。
しかし、今朝の母の様子は、とても他人行儀な態度でした。今日、母は持病の薬を貰いに病院に行くので、車で送りました。その車の中で母のよそよそしさに違和感を感じたので、また、母の守護霊様に「母はどうしてそうなのですか。」と尋ねると、また十二単の女性の声が聞こえてきました。
『少しずつなのです。』『幼いのです。』『これでも、反省しているのです。』
「なるほど。この姿は、反省しているのか。」そう思うと、私の心は、晴れていくのでした。
見えないけどいる
母は、守護霊様がおっしゃるように、少しずつだけどわかってくれるものと信じています。私も、母の姿を通して自分ごととして考え、日々反省しながら、人生を前向きに歩んで行きたいです。いつもは見えないけど、私にもあなたにも守護霊様がちゃんといてくださるのだから。